施術者紹介

院長:伊集和重 【鍼灸師】

1984年2月26日生まれ

血液型:O型

沖縄県中頭郡西原町出身

福岡柔道整復専門学校(現福岡医療専門学校) 鍼灸科卒業


はり師139780号  きゅう師139594号

10年間の治療院勤務、院長経験を経て、再現性・効果が高い中国鍼灸を研究・実践している北京堂鍼灸の創始者・浅野周先生にご指導頂き、開業。

お世話になった先生方、支えてくださる方々に感謝し、効果の高い鍼灸治療を地域の方に提供できるよう努めます。



〇私が鍼灸師になったきっかけ

高校野球をしていた時に腰を痛めたことが発端です。忘れもしない、二年生の夏でした。

タイヤ押しという足腰を鍛えるためのトレーニングをしている時に、右腰の奥で「プチプチッ、ビキッ!!」という、嫌な音が聞こえました。

動けないほどではないのですが、何だか結構痛くて、変な汗が出てきました。

一緒にタイヤ押しをしていたB君が「何かお前は!もう終わりか!!」

みたいなことを言ってきたので、とても悔しく思ったのを覚えています。

そこから少し強めの動きの練習は痛くて出来なくなり、高校野球は中途半端で終了。腰は、疲労が溜まると痛みますが普段から痛むということは無くなっていました。

その後、教員免許を取るという名目で福岡の大学に進学しましたが、勉強はそこそこに、アルバイトに情熱を燃やしていました。

福岡の繁華街、天神の西通りにある行列のできるラーメン屋さんでのアルバイトが楽しくて仕方がありませんでした。

アルバイトを始めた当初は仕事ができなくて、毎日怒られて干される寸前のような状態だったのですが、

豚骨スープのように熱い店長さんと熱い先輩方がビシバシ指導して下さり、結果、仕事がめちゃくちゃ楽しくなりました。

仕事とはこういう風にやるんだという、取り組む姿勢を叩き込んで下さいました。

このままラーメン屋さん、飲食業を一生の仕事にしてもいいかと思う反面、私自身が味オンチなのにも薄々気付いてきました。。(汗)

その場の雰囲気や、楽しければ味はあまり気にしない、といいますか、味覚以外の情報で楽しめるような気がしていて、これで飲食を一生の仕事にするのには厳しいかなと考えました。



そこで一生の仕事にできそうなことは何かを考える時期が続いたのですが、

ある時、その店長さんが、肩を揉んでくれと仰るので得意になってほぐして差し上げました。

その時に店長さんが何気なく

「カズシゲェ、お前、こっち(マッサージとか)の方がむいとっちゃないと?

と仰ったのです。とても嬉しい気持ちと同時に

「・・・ハッ!!・・・」としました。

稲妻が落ちたは言い過ぎですが、何か思い出したような、気付いたような衝撃がありました。



実は高校野球で腰を痛めていた時に、自分が整体やマッサージ、リハビリなどたくさん受けているうちに、

やり方を何となく覚えてしまい、同じようなケガ人や、投手陣の肩や腰のマッサージ・ストレッチするようになっていて、

なんで自分はこんな事してるんだろうと思いながらも、

筋肉が緩んだ感触や、受けてくれた人が喜んでくれるのを、楽しんでいる自分がいたことを思い出したのです。

そこから自分なりに調べて、施術する仕事として、鍼灸が心当たり、やってみたいと思いました。

自分のように、痛みでやりたい事を我慢している人の役に立てたら、あの腰痛などを治すことができたらと考え、

まずは入学金を貯めてみて、貯められたら鍼灸の専門学校へ行こうと決めました。


その後、無事に鍼灸学校に入学、国家試験にも合格し、鍼灸師として働きだすのですが、そこからも苦難の連続でした。

 

〇鍼灸師の資格を取ってから

本当に効果のある鍼灸を求めて、自問自答し続ける日々でした。

一番初めは、大阪にある中国の医学大学の日本校で中医学の課題をこなしながら臨床(約1年)

その後上京し、ひたすらマッサージと気功をすること2年。

やはり鍼をやらなければと、東京の郊外にある治療院の立ち上げをさせてもらいそこで3年半。

その後六本木ヒルズに入っている治療院で約3年。最後は副院長をやらせて頂きました。

結婚し子供も生まれたので夜遅くまでは無理になり、世田谷の訪問鍼灸の治療院を立ち上げから関わらせて頂き、約3年勤めました。

沢山の患者さんを診させて頂く機会を得られました。ざっと計算したみたところ、約2万6千回の施術実績でした。とても有意義な東京生活でした。今でもお世話になった先生方や、施設、同僚の方々、東京の患者さんたちにはとても感謝しています。

治療法としていくつかの流派のやり方を実践し、研究してきました。勉強会も出て、高価な本を買って、まずは身内や知り合いに試させて貰っての繰り返しをしていました。

どの方法も良い点もあれば弱点もあるように感じていました。

また、どの流派も再現性が乏しく重症者にはなかなか満足して頂ける効果を出せない事が多くありました。

特にぎっくり腰や寝違え、五十肩などでは、症状はほぼほぼ変わっていないのに、

そのまま帰るしかなく、恨めしそうなお顔でお金の支払いをされた患者さんを見送るたびに、

うまく患者さんを治療できない自分が情けなく、患者さんに申し訳ないという気持ちで一杯でした。

そして浅野周先生とご縁があり、本当に治す治療を目の当たりにし、私がやるべき治療はこれだ、これしかない!!と感じ、

研修をさせて頂き、北京堂鍼灸首里として開業することができました。

 

今振り返って考えると、腰を痛めて悔しい思いをしたのが原動力になり、店長さんに気付かせてもらい、また治せなくて悔しい思いを沢山したのが良かったようです。人生って面白いですね。笑

 

今は、ぎっくり腰や寝違えも怖くありません。むしろ大歓迎。確実に改善されられるようになったからです。

どこに行っても良くならなかった方が、「良くなったよ!!」と喜んでくださるのが、嬉しくて楽しくて仕方がありません(笑)

北京堂の治療は正直に言って厳しい治療かもしれません。

痛いところにしっかり鍼を刺していく治療です。痛いところ、悪いところを探して打っていきます。

(もちろん無理矢理にはしません。必ず了承を得てから打っていきます)

だからこそ痛みや症状の原因に直接アプローチでき、高い確率で早期に改善させることができます。

私は、筋肉の凝りによる痛みで、

生活レベルや活動レベルが下がっている方

スポーツや趣味などを楽しめない方

お仕事がしたくても出来ない方

このような方々のお役に立てると考えています。

そのような方々に、当院で鍼を受けて効果を実感して頂き、しっかり刺す鍼が、

痛みの治療の選択肢の一つとして もっと普及していくことが私の一番の願いです。

 

 

小方章記仁(おがたあきひと)先生  火曜・木曜担当

 

「2023年3月より鍼灸師の伊集先生の下で研修中です。 私は沖縄県出身で、東京で15年間社会人生活を過ごしました。その後、沖縄に戻り、介護・医療業界で勤めています。

東京時代は、不摂生な生活で肩こりや頭痛に悩み、鍼灸治療院に通っていました。介護・医療業界では、患者様や高齢者の方々と接し、人生百年時代に向けて予防医学が重要だと感じました。鍼灸治療院で不調を改善していた経験から、鍼灸師を目指しました。

私と同じように体の不調に悩む方の一助になれるように、技術を磨いていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。」

 

 

亀川晶乃(かめかわあきの)先生  月・水・金・土 担当

「初めまして、亀川と申します。

これまでは、子どもたちと関わる仕事をしたり、海外に出てみたり、色々なことをしていました。
 
心と身体が繋がってると実感したのはヨガを初めてやった次の日でした。気づいたら心爽やかに階段を一段飛ばし。そこから身体に興味を持ち始めこの業界に入りました。
 
「奥のコリ」「深層筋」そこが緩まないから「戻る」というキーワードに惹かれて、北京堂、伊集先生とのご縁に巡り合わせていただきました。
初めてビーフジャーキーの様なコリに鍼先が当たる感覚を経験したときはとても衝撃的でした。
 
研修を快く受け入れて下さった伊集先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
少しでも多くのことを学び、吸収していきたいと思っています。ご指導ご鞭撻頂けましたら幸いです。」